4/20

 昨日、いわき市から会津若松市へと移動した。

 いつの間にか強行軍での観光と化しまっている。疲労困憊だ。

 

 急がなければならない理由はないのだが、ゆっくり過ごせる場所を見つけられず、あちこちを転々とする羽目になっている。

 本当なら昨日は、猪苗代湖の湖畔で、のんびり過ごそうと思っていた。しかし、雨が降っていたので断念し、急遽、会津若松に向かった。

 

 だから今日こそは、ゆっくりしようと思っていたのだけれど──何故か会津若松市内を探索してしまった。

 七日町通りから鶴ヶ城まで、我ながらよく歩いたものだ。

 

 一体何をやっているのだろう──何をそんなに張り切ることがある。

 

 明日こそは、ファストフード店とかネットカフェとか、低価格で長時間滞在できる店を探して、身体を休めたいと思う。

 

 画像は鶴ヶ城より
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4/18

 茨城県から福島県へ移動した。今夜は、いわき市にある道の駅に車を停めている。

 駐車場から砂浜まで徒歩五分の好立地だからか、車中泊の車がたくさん停まっている──停まっているではなく、泊まっていると表記するべきかもしれない。

 

 せっかく茨城に来たわけだし、福島へと向かう途中。前々から行きたいと思っていた御岩神社(おいわじんじゃ)、花園神社(はなぞのじんじゃ)へと立ち寄った。

 特に御岩神社はパワースポットとして名高い神社で──スピリチュアルを信じていない割に、結局パワースポットに行っているじゃないか。

 まあ、パワーを信じるかどうかは別として、パワースポットというのは総じて風景が素晴らしいものだ。

 

 それと、御朱印帳を買った。既に何冊も持っているので、今後使うことはないと思う。

 綺麗なデザインの御朱印帳を見かけると、ついつい買ってしまうのは僕の悪い癖だ。

 一日の食費を千円以内に抑えて路銀を節約しているのにも関わらず、必要ないとわかっていても買ってしまうのだから、こればかりはもうどうしようもない。

 

画像はいわきマリンタワー撮影
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4/17  岩船山③ 日本三大霊山

 栃木県から茨城県へと場所を移した。

車中泊生活にも疲れてきたので──働いてもいないくせに疲れたと口にするべきではないかもしれないか。

 しばらく同じ場所に留まってゆっくりしようかと。それなら海沿いがいいなと。

 そんな浅い考えに基づいての移動である。

 栃木県から横に移動して、茨城県の海沿いにある「道の駅 日立おさかなセンター」に車を停めた。

 しかし、いざ来てみると。ここの道の駅は名前からしてわかる通り、観光客向けに魚の販売、魚料理の提供をしている施設で、ゆっくり過ごせるような雰囲気ではなかった。

 仕方がないので一気に福島県まで北上してしまおうと思う。

 会津若松あたりで、一泊くらい温泉宿をとるのもいいかもしれない。せっかくの観光地、せっかくの温泉街だ。

 

 さて、話は変わって。岩船山、高勝寺について。

 山の麓、岩舟石の資料館にて「霊感があるかたは気分が悪くなってしまいます。気をつけてください」とそんな説明を受けた。

 しかし、高勝寺までは石段が六百段あるとのこと。それだけの段数を上がったら、そりゃ誰だって気分のひとつも悪くなるだろうと、内心でそう思っていた。

 

 僕は神社めぐりだけじゃなく、坂東三十三観音と呼ばれるお寺の札所参りをしていた時期もあった。だからそれなりの数のお寺に足を運んでいる。

 神社仏閣を訪れるのは、知識欲からだと言ったけれど。かといって、参拝ルールはしっかりと守っているつもりだ。

 お賽銭を納めて、本殿を拝んで、お賽銭だけでは見学料として申し訳ないので、御朱印料も納めている。

 逆に、それさえすれば信仰心を持っていなくとも、どこの寺社でも足を踏み入れていいものだと、そう思っていた。

 けれど今回、その認識を改めるべきかもしれない。

 

 境内の一画。子供の姿の地蔵菩薩が並ぶエリア。

 そこに大量の子供用衣服、おもちゃ、ぬいぐるみ、リュックサックなどが供えられていて──お地蔵さまの足もとにはたくさんの石が積み上げられていた。

 その光景を見て、罪悪感にかられた。

 供えられた衣服、ぬいぐるみ。積み上げられた石に、どれだけの感情が込められているかと想像するだけで。いや、親になったことのない僕がその気持ちを汲み取ることは、できないのかもしれないけれど。

 知識欲のためにこの場所を訪れたことが、誰かの心に土足で踏みいってしまったように思えて、本当に申し訳なかった。

 神様が本当にいるのか、占いは本当にあたるのか、目に見えない力は本当にあるのか、なんてことは関係なくて。

 この場所に、花を手向けにくる人の思いは本物でしかない。誰かにとって神聖な場所なんだと、そういう認識が欠けていた。

 

 今回のことから神域に対する心構えというものをもう一度見つめ直そうと思う。


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4/15 岩船山② 日本三大霊山

 神社に行く理由。
 僕は信仰に熱心な人間じゃないし、パワースポットや占いというようなスピリチュアルを信じてもいない。
 星の王子様の名言に「一番大切なことは、目には見えない」とあるけれど、僕は目に見えるものしか信じられない人間だ。

 かといって、スピリチュアルを頭から否定しているつもりもない。非現実的な存在がいたらいいと子供のような憧れは持っている──しかし、占いを信じる気が失せるようなエピソードを知っているので、信じようとは思えない。

 知人の話──知人、東京住まいのAさん(仮名)の話。
 Aさんは、僕よりもふたまわり以上歳が上の人で、いわゆる人生の節目の決断を占い師の先生に任せて生きている人だった。
 その占い師というのは、その道ではどうやら有名な人物で、客の中には神様と崇めている者もいるほどらしい。

 そして、僕が知る限りにおいて、Aさんが占い師にした最後の質問は、自分の両親のうちどちらが先に亡くなるか、というものだった。
 どうしてAさんがそんなことを聞いたのかというと。Aさんの両親は離婚していて、父親は東京で、母親は実家のある熊本で暮らしている状態だった。
 高齢になった両親と少しでも長く一緒にいてあげたいという気持ちから、占い師の言葉によっては熊本に移住しようとAさんは考えたわけだ。
 そして、いざ占ってもらった結果。生まれ育った東京を──五十年以上暮らした東京を離れ、熊本に移り住むことをAさんは決めた。
 なかなかできないことだと思う。その歳になって新天地に向かうことには勇気がいる。僕はその決断を本当にすごいと思った。

 まあ、それでこの話は終わらないわけで。Aさんが熊本に移住して二週間後、東京の父親が亡くなった。五十年住んだ東京を離れてから、たった二週間後のことである。
 葬儀のために飛行機に乗って、一時的に東京に戻ってきたというAさん。
 僕は時間の都合上、そのときAさんに会うことはできず、共通の知人からこの話を又聞きしたわけだが──僕はそれ聞きながら、そういえばワールドカップの度に世界中の動物園やら水族館で、勝ち負けの二択を占うタコやらアシカやらゾウやらがいるよなぁと、そんなことを思った。
 まあ、占いなんて所詮そんなもんだ。

 だから僕が神社に行く理由があるとしたら、あくまでも知識欲を満たすためでしかない。
 その地域の歴史、民族、伝統等々を学ぶうえにおいて、神社仏閣は優れている。
 資料館やら博物館の方が、より詳しく学ぶことはできるかもしれないが、屋外を歩くのは気持ちがいい──綺麗な景色をみることもできる。
 日本三大霊山、岩船山の高勝寺を訪れたのも、観光として知識欲を満たすためのつもりで。
 しかし、実際に訪れてみて、その考えを改めるべきかもしれないと、そう思わされる場所だった。
 後日の③に続く。

4/13 岩船山① 日本三大霊山

 ここ数日、珍しいことに精力的に活動した。
 足利学校、唐澤山神社、科学博物館、大谷資料館等々。いつか栃木県に行くことがあったら是非行きたいと思っていた場所を片っ端からまわった。
 どの場所についても話したいことはたくさんあるけれど。僕がいつものペースでおしゃべりに興じていたら一体どれだけかかるかわかったもんじゃないので、一番印象深かった岩船山高勝寺(いわふねさん こうしょうじ)についてのみ語ろうと思う。
 まず、岩船山は日本三大霊山の一つと言われているらしい。これには諸説あって──まあ、三大○○なんてものは、人によって多少違っていたりするものだ。
 一般的に日本三大霊山といえば、富士山、白山、立山を指す言葉として使われることが多い。けれど、青森の恐山、京都の比叡山、和歌山の高野山日本三大霊山と呼ぶ向きもあるらしい──どちらにしても岩船山は入っていないではないか。
 まあこれは単純に、日本三大霊場がある山こそが霊山だと、そういう認識なのではないかと思う。
 富士山、白山、立山が圧倒的な自然からなる神聖な山としての霊山。
 恐山、比叡山高野山は日本三大霊場があることから、人間の霊が集まる場所としての霊山。
 ということなのではないかと、あくまでも僕はそう考えている。
 しかし、ひとつ誤解しないで欲しいのは、岩船山が日本三大霊山のひとつだと、僕が勝手に言っているわけでない。岩船石の資料館という栃木県が管轄している施設で、担当者の方からそう説明を受けた。だからおそらく何かしら言い伝えがあるのだろう。

 まあとにかく、岩船山。その道では有名な霊山に足を運んだ。

 そもそも僕は何故、神社仏閣を好んで訪れるのかというあたりから順を追って綴っていきたいけれど。
 この辺の話も雑談ばかりで進みそうもないので、何回か日記をわけて書き記していきたいと思う。

4/10

 群馬県をまわった記憶が道の駅のことしかない。本を読むのが目的とは言え、いくらなんでも味気なさすぎる。

 このままでは、いつか放浪生活を終えて、誰かに旅の思い出を語ろうとしても、銭湯の料金くらいしか土産話がないではないか──あとは大量の読書感想文。一体何年留年したんだって話だ。

 宿題が嫌いな学生に向けてメルカリで売るのもいいかもしれない。手遊びで書いたものが、多少なりとも小銭になれば御の字である。路銀は多いに越したことはない。

 まあ、そんな需要はないだろうけれど。

 

 とはいえ、せっかく県を跨いで栃木県に来たわけだし、これを区切りとして、今後はもう少し観光に力を入れていこうと思う。

 さっそく今日、足利織姫神社に足を運んだ。山の中腹にある神社。境内から見える景色がとても綺麗だった。

 しかしそれよりも、駐車場までの山道が狭く、対向車とすれ違うのに苦労した記憶の方が思い出には残るかもしれない。


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4/8

 悩んだ結果、群馬県沼田から栃木県日光へと向かうことにした。

 けれど、いざ調べてみると、金精道路という群馬県片品村から日光市湯元までの区間が、4月25日まで冬季通行止めとの情報が群馬県のホームページに載っていた。

 地図にはしっかりとした太い道で書かれているので、まさか通行止めだなんて思ってもみなかった。

 山道というのは、どこもそういうものなのかもしれない。

 まあそういうことなので、来た道を戻ることになるけれど、群馬県の南側から栃木県に向かうことにした。

 一時間半ほど車を走らせて、今は「よしおか温泉」という道の駅に車を停めている。

 ここの道の駅は風力発電の風車がシンボルだったらしい──老朽化で解体されてしまっていた。

 風車はなくなってしまっていたが「かざぐるま」という名前の物産展は営業していて、そこでお弁当を買って食べた。

 

 近くに運動公園があったので、午後は散歩をして過ごそうとして──すぐにバテた。

 景色を眺めながらゆっくり歩いたのにも関わらずである。

 最近、本を読んでばかりだったので、運動不足になっていたらしい。いくら本を読むのが目的とはいえ、さすがにこのままじゃだめだ。